【佐渡島の金山とは?】3分でわかる!かんたん解説!

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概要

黄金の国ジパング…という言葉を、聞いた事はありますか?

日本は昔「金がたくさん採れる国」…と言う事で、海外からそう呼ばれていた歴史があります。

今は日本で金が採れるイメージがあまり沸かないと思いますが、江戸時代~明治時代にかけては特に国内で多くの金が採掘されていました。

そんな日本の金採掘ビジネスの中でも、主要な産出地だったのが新潟県にある「佐渡島」です。

解説

佐渡島で金や銀が採掘され始めたのは800年以上前からだとされ、とても長い採掘の歴史があります。

なので佐渡島には、金を掘り出す為の「古い方法から、新しい方法まで」様々な技術を用いてきた痕跡が残されています。

これは、人が行ってきた採掘の歴史が、同じ場所にギュッと詰まっている!
…とも言えます。

江戸時代には、金の採掘に特化した「鉱山都市」が築かれ、最盛期には5万人もの人々が暮らしていました。

鉱山都市では金の採掘はもちろん、不純物を取り除き、溶かして金塊し、小判など「お金の形」に加工するまでの一連の作業がこの場所だけ完結する事が可能でした。

この仕組みはとても画期的で、全国各地にある他の鉱山にも影響を与えました。

また、佐渡島で採れた大量の金は、江戸幕府や明治政府の重要な資金源でした。明治時代には西洋から伝わった技術を用いた事もあり採掘量は過去最多。

佐渡島で採れた金銀を財源に日本は急速に近代化する事となしました。

場所

佐渡島は日本海に浮かぶ島で、日本の島の中ではかなり大きい方です。


それでは、主要な鉱山をご紹介します。

相川金銀山(あいかわきんぎんざん)
江戸時代と明治時代に、大規模な採掘が行われた鉱山都市。
採掘により、2つに割れてしまった山「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」や、金銀の加工が行われた街、近代まで採掘が行われた痕跡などが残る。

鶴子銀山(つるしぎんざん)
佐渡島の中でも古い鉱山跡。
地表に露出した銀を、直接掘り出した「露頭掘り(ろとうぼり)」や、採掘の為に掘られた「間歩(まぶ)」と呼ばれるトンネル跡が多く残る。

西三川砂金山(にしみかわさきんざん)
砂金の採取が行われた山々。
砂金を集めるには、山の土砂を水に流す必要があった為、人口の水路や、石を積み上げた建物の跡をなどが残っている。
佐渡島での金採取はこの場所から始まったと考えられている。

行き方

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